August 20, 2006

母性禍

藤原新也「渋谷」を読了。

「渋谷センター街」という砂漠で
渇ききった少女たちの気持ちを
理解しようともがく藤原新也。
著者がたどり着いた”原因”は
”母性禍”だった。

   ただひたすら世間の価値観を押しつけるまなざしを
   子供に投げかけることによって子供を追いつめ、
   逆に子供の居場所や存在を奪っている。

ただし、
そのさらなる原因を著者は指摘している。

   しかし過去の事件を探ってみると、
   そのような家族では
   はじめに父親が崩れているケースが非常に多い。
   父が崩れ、それから将棋倒しのように母が崩れ、
   そして子供が崩れている。

   父親の存在感が家庭で薄まるにつれ、
   母は父母の役割を担う全能な存在でなければ
   ならなくなったわけだ。

3人の”子供”たちを通してみた現代社会。
それは父にも母にも見捨てられて、
”生きる意思”が希薄な時代だった。
0章のタイトル「おねがいわたしをさがして」は、
その救いのなさを象徴している。

しかし、最後の救いは、
「写真を撮る」という行為に
癒しの効果があるということだった。

   つまり写真行為とは被写体となる人の
   ”今現在の姿を肯定する”行為でもある。

”肯定”を求める若者。
周りを見回すと人ごとではない。

[Books&Magazines] Posted by tokuo | TrackBack
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