"作曲方法からは、音が関係性を失って
ばらばらに存在する無為な状況が想像される。
ところが実演からは全く逆の印象を受ける。
めまぐるしく変化する夥(おびただ)しい音の群れを
生身の人間が再現する困難さは、
演奏者のヴィルトゥオジティ(名人芸)を極限まで引き出し、
結果として鑑賞者をもひきつける有意性が生じる。"
ジョン・ケージの「フリーマン・エチュード」を
弾き切ったヴァイオリニスト、
アーヴィン・アルディッティのリサイタル評から
音楽評論家・江藤光紀さんの言葉。
(今日の日経夕刊文化欄より)
たいていは常識から外れた
音列が並ぶ現代音楽では、
ライブでなければ感じられない感動があるが、
それを的確に表しているように思う。
ジャズやロックのドラム・ソロも、
そうした感動のあり方で成立している部分がある。
「いまそこにある」ことの意味を感じさせる、
"生々しい身体性"というキイ・ワードで、
音楽の理解が深まるような気がした。