August 31, 2007

俳句のむずかしさ

今月の日経「私の履歴書」は
俳人の森澄雄さんだった。

勲章ももらっているという彼が
どのくらい偉い人なのか知らなかったが、
文章の合間合間に挿入されている
彼の俳句があまり心に迫ってこなかった。

第1回、第2回から
いくつか句を引いてみる。

   白地着て白のしづけさ原爆忌
   翁とともに酷暑を歩きいくさの日
   夕凪はわが播州も長崎も
   つくしんぼうはうしこと呼ぶふるさとは

なんだか、
素直すぎて面白がれない。
生活を率直に詠むのが
彼の作風なのだと思うが、
ストンと腹に落ちる句が
ぼくには少ないと感じた。

俳句をたくさん詠み
たくさん読み込んだ人にのみ
分かる境地というものがありそうだ。
むずかしいなあ。

奥さんのことを詠んだ”白鳥”の句が
代表作というだけあって
彼の句には奥さんの話が多い。
こちらは分かりやすい。

   除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり
   木の実のごとき臍もちき死なしめき
   なれゆゑにこの世よかりし盆の花

しかし、
奥さんの死後に発見したという、
夫のために1日分ずつ分けてあった
薬包紙に書かれていたという
奥さんの句が身にしみた。

   はなはみないのちのかてとなりにけり   アキ子

また、
彼の軍隊の時の経験は
読んでいて凄みがあった。

門司港を21隻で出発した輸送船が
マニラに到着できたのはたった3隻。
毎日、目の前で轟沈が続き、
船体が傾いて人間が海に落下するのを
見て耐えられなかったという。

また、「三百五十キロなら
一日四十キロとしても十日もあれば移動できる」
と大本営の参謀が言ったために、
300キロを200日かかったという
「死の行軍」の話も悲惨だ。

砲弾がなくて撃てもしない大砲を
分解搬送しながら
30センチはめり込むぬかるみの中を
「一歩抜いては踏み込み、
また抜いては進むという始末」で、
歩けなくなったものは自決をしたのだという。

戦争中のことを書いた回には、
俳句はほとんど出てこなかった。
「俳句との訣別を決意した」からだ。

さて、
同時期に、日経のコラム「詩歌のこだま」で
紹介されていた俳句甲子園出場チームの
監督二人の句は分かりやすい。

貝殻の砂となりゆく夜の秋
部屋いっぱい広げし海図小鳥来る   佐藤郁良

さくらさくこの子取扱注意
哀しみはちりめんじゃこの中のタコ   塩見恵介

ともに30代だそうだが、
ぼくの俳句年齢が30歳代ということだろうか?
脳年齢とは違って、
若い方がいいとは限らないが・・・。

[Haiku] Posted by tokuo | TrackBack
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