September 08, 2007

”弱い”三島由紀夫

梅田望夫さんのエントリーで興味を持った
「「兵士」になれなかった三島由紀夫」を読了。

中学生の時に、
午後一番の授業が始まるのを
ザワザワしながら待っていたわれわれを
ちょっと遅れてやってきた先生が、
「お前らが下らない話をして
騒がしくしている間に、
世間では大変なことが起こっているんだ。
三島由紀夫が自決したんだぞ」
と叱ったのをよく覚えている。

それが1970年11月25日。
ぼくは13歳だった。

新聞社の紙面作成の
コンピュータ化競争を描いた
「メディアの興亡」
大宅壮一ノンフィクション賞を
受賞した著者のこの本は、
読んでいる間はたいへん面白く、
一気に読んでしまったが、
なぜか読後感がしっくりこない。

きっと三島由紀夫という存在が、
ぼくの中でリアリティを
あまり持っていないからだろう。

小説の熱狂的なファンでもないし、
自殺する人にはあまり感情移入できない
性癖のためかもしれないなと思ったりした。

それでも、
上半身は見事に鍛え上げながら、
それとは対照的にひ弱な下半身を
ついに克服できなかった三島。
その”哀しみ”とでもいうものが
彼の人生を象徴的に示しているようで
感慨は深いものがある。

最終章で登場する、
自決した三島と森田必勝を介錯した
元「楯の会」隊員の話はとても興味深い。
いくつかの疑問が提示される。

彼はどうして見事に介錯できたのか?
服役後に彼は自衛隊の教官を訪ねたのか?

結局、
本人の沈黙の壁を完全には打ち破れずに
終わってしまったのが残念。
まさに、
答えは風に吹かれているかのようだ。

[Books&Magazines] Posted by tokuo | TrackBack
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